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イギリスには、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドにサッカー協会がある。 いずれも19世紀後半の設立で、その歴史はワールドカップを主催する国際サッカー連盟(FIFA)より古い。
国家単位で競技するオリンピックとは異なり、ワールドカップでは、これらイギリスの四地域がそれぞれ単独で参加することが認められている。 12世紀以来のサッカーの歴史をもつイギリスは特別扱いされているわけだ。
日韓両国で開催された2002年のワールドカップでも、イギリス国民の熱狂ぶりはものすごいものである。 「何しているのだ。
早く来い。 試合開始に遅れるぞ」皆で近くのパブに繰り込み、大型画面のテレビで観戦しながら、応援しようというのだ。
私の周囲を見渡すと、いつの間にか同僚たちが姿を消している。 彼らは試合が終了した3時ごろまで戻って来なかった。
パブで、ビールを飲みながら応援していたのである。 「お宅はどう対応しますか?」とある日系銀行から問い合わせがあった。
「何のことですか?」「ワールドカップのことですよ。 イングランドの試合は仕事時間中ですが、社員にテレビを見ることを許可しますか?うちはどうしようかと思案中なのですよ」第2戦は、金曜日の昼12時半からだった。

試合を見るために会社を休む社員が続出しそうなので、どの企業も頭を悩ませていた。 特別にテレビでの観戦を許す代わりに、その分、残業させるという条件を出した企業もあった。
その日、私の勤務先は、朝から一種の興奮状態にあった。 イングランドチームのユニフォームを着て仕事をしている社員が少なからずいた。
昼になると、1階の受付付近に、イングランドの小旗を持った連中がたむろしている。 携帯電話でまだオフィス内に残っている同僚を呼び出して会社に残っていた者とて、真面目に仕事をしていたのはごく少数であった。
社内のあちこちに設置しているテレビ画面を見ながらイングランドチームに声援を送り、とても仕事どころではない。 このテレビは、仕事のために常時ニュース番組を見られるよう置かれているもので、サッカー観戦のためではないが、この際、堅いことを言う上司はいない。
同様に、社員のデスクトップのPCにも、テレビ画面が映し出せるシステムがあるので、利用して観戦している者も多かった。 実は私もその1人だった。
試合が始まると、「それいけ」「よし、その調子だ」と掛け声が起こり、チャンスやピンチには、歓声や悲鳴があがる。 イングランドのエース、ベッカムが得点した時は、もう社内にどよめくような喜びの声が沸きあがり、大騒ぎになった。
この試合は1対0でイングランドが勝った。 社員は全員、上機嫌で仕事に戻った。
パブでビールを飲みつつ観戦していた連中も仕事に戻ったが、興奮冷めやらぬ彼らの中には、突然、イングランドチームの応援歌を唄い出す者もいた。 誰もとがめたりはしない。
お祭り騒ぎはなかなか収まらなかった。 いつもは冷静なシティの金融マンがこれほどまで熱狂するとは、私も呆れた。

イギリス人とサッカーの関係である。 本当の国技であり、老若男女皆、サッカーを愛している。
日本人としていささかうらやましく思った。 「あなたは日本人なのだから、中国や韓国の言葉も分かるだろう」と言われることは珍しくない。
考えれば、これも無理からぬことだ。 たとえば、日本人に北欧のスウェーデンとデンマークとノルウェーは違う言葉を話していると思うか?と聞いて、正確な答えが返って来るだろうか。
それと同じことで、欧州の人にとって、日本はやはりまだ遠い極東の島国なのである。 2002年のワールドカップを開催したことで、彼らの日本と韓国への関心は増した。
私の勤務先はイギリスの銀行だが、東洋人の社員も数多い。 ただし、日本人は3人だけだ。
ワールドカップでの日本の健闘を称えて、イギリス人社員が声をかけて来る。 「勝利おめでとう。
ところで、君は韓国人だっけ?日本人だっけ?」日韓両チームとも、予選を勝ち抜き、決勝トーナメントに進出したのだから、こちらがどちらの国の人間か分からなくとも、とりあえずは「おめでとう」と言ってくれるのだ。 私がこれには少々説明が必要だろう。

イギリスには「サッカーの聖地」と呼ばれるウェンブリースタジアムがあるが、老朽化したので、取り壊して新たに立派な国立スタジアムを建設する計画が持ち上がっていた。 資金の手当てがつかず話がなかなか進まなかった。
迷走の末、ようやく、ドイツの金融機関が資金を貸してくれることになり、実現の見通しが立った。 イギリス人からして見れば、自分たちの国は、国立スタジアムひとつでこんなに難航するのに、日本にはなぜ、あのように新しくて素晴らしい施設が数多くあるのか、と疑問に思うのである。
「日本が不況というのは嘘ではないのか」と真顔で言う者もいる。 シティの同僚は金融マンらしく、「どこから資金を調達したのか?」と聞いて来る。
さて、イングランドの第三戦は、当地の時間で朝7時半のキックオフであった。 この日の朝、通勤バスがロンドン橋を渡る時、私は信じられない光景を見た。
橋の両側の歩道をおびただしい人が、ぞろぞろとシティに向かつて歩いているのである。 時刻は午前7時。
私は仕事柄、朝が早いが、ふだんこの時間はこのように多くの人は歩いていない。 彼らは早めに会社に行って、テレビでイングランドチームを応援するのである。
自宅のテレビで観戦していては、会社を休まなくてはならない。 だから、早く会社に行き、会社か、あるいは、近くのパブでテレビを見るのである。
商売上手のパブもそこのところは心得ていて、店の入り口には試合の日程表(もちろんイングランドの試合を中心に)を「見よ」とばかりに貼りだし、大型画面のテレビを設置して、客の引き込みに怠りはない。 朝食も用意する。
ビールも、もちろん出す。 小学校でも子供たちが早めに登校したところが多かった。

特別に朝の給食が用意された。 食べながらテレビで観戦するのだ。
ついでに書くと、大手スーパーではこの時期、サッカー観戦用の朝食なるものが売り出された。 シリアルヨーンフレークやポテトチップス、ミルクなどが一袋になったもので、買って早朝のテレビ観戦をしようというのだ。
私が会社に着くと、すでに社員の一団がパブに出かけようとしていた。 皆、白地に赤い十字のイングランドの旗を持ち、楽しそうにしている。
試合が終わったのは、9時半過ぎ。 その後、閑散としていたディーリングルームにようやくぞろぞろと社員が戻って来た。
悲喜劇も生まれた。 新聞の報道によれば、ある道路工事に従事していた男性は、持ち場を離れ、近くのパブに入り、ビールを飲みながら観戦したことを問題にされ、クビになったという。
彼からすれば、イングランドチームの応援と、道路工事のどちらが大事か、と言いたかったに違いない(多分、クビになる前にそう抗弁しただろう)。 だが、無断で持ち場を離れ、ざらに、ビールまで飲んだのがいけなかった。

ところで、職場のテレビで観戦しているイギリス人を見ていると、いろいろな傾向に気づく。 イングランドの次に熱心に応援するチームは、隣国のアイルランドだ。
理解出来る。 欧州のフランスやドイツは応援しない。
彼らが熱心に応援するのは、アメリカのチームである。

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